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執筆者の写真sorairo

今週末は富士見市で選挙。

少し、お久しぶりの投稿となってしまいました。

時間ができたかな、と思えばありがたいことに、また新しい「やること」が湧いて来て

この記事はずっと書きたいと思いながらもなかなか書けず。


でも、やっぱり書きたかった記事です。


最近、いろんな人と話をしていると、

「最近の社会は・・・・」

「社会がこうだからた仕方ないよね」

のような、諦念感のようなそんな雰囲気を感じることがあります。


かくゆう私自身も、うまくいかないことが続いたり、しかもそれが自分の努力ではどうにも

ならないことであればそれを「社会」のせいにすることもしばしば。


そんな時、決まって思い返すのは

「社会はいかにして作られるか」

ということ。


私たちは社会に生かされているわけではなく、社会を作っていると思うのです。


確かに社会構造が作られるには、長い歴史の積み重ねがあって。

だからこそ、自分たちの手の届かないところにある。

そんな感覚になるのではないかと思う。


けれど、その社会を動かすのは政治。

(もちろん、市民一人一人の生き方そのものもその要素になると考えていますが。)

その政治家を選ぶのは私たち。


そう、つまり、「社会のせい」にしたい何かがある時は、

自分自身が成すべきことを成しているかを考え直さなくてはいけない場面なのではないかと

思うのです。


今の社会は本当に混沌としていて。

そういう時って、何が正しくて何が間違っているかも判断しにくくて

だからこそ、思考停止しがちなのですが。

でも、そんな時だからこそ、自分は何を大切にし、どんな社会で生きたいのか、

加えていうと、後世にどんな社会を残したいのか。

そんなことを考えなくてはいけないだろうし、

その思いを乗せられる人をちゃんと選ぶということが大切なんだと思うのです。


元々、社会の教員をしていた時、授業の中で子どもたちに

「選挙権があるということは、その社会を任されているということ。だから、自分が生きるこの社会のその先を選択するように選挙にはいこう。それが日本人、埼玉県人、そしてそれぞれの市区町村生きる人に与えられた最大の権利だから。」

と話をしていました。


いろんな価値観、いろんな考え方があって。

そのバランスが為政者を選んでいるのだと思う。



今、私たちは「何を大切にする」為政者を選ぶのか。

変化を求めること

安定を求めること

多き、強きを大切にすること

少なき、弱気を大切にすること

物差しは色々とあると思うのです。


自分はどうしたいのか。

考えることをやめず、諦めず、想いを乗せる。


それだけは続けなくてはいけないのだと思うし、きっとそれが今を生きる私たちも

未来を生きる私たちも、未来を生きる大切な人たちもきっと笑顔になる選択につながると思っています。

そして、選択の材料となる過去を生きた自分に対するお礼にもなると思う。


それが、生を重ねるということであり、その生の積み重なりが社会を作り、

そして後世から見た「歴史」と変わるのだから。


さて、日曜日は、選挙に行こうと思う。


富士見市の選挙情報

https://www.city.fujimi.saitama.jp/shisei/13senkan/2016-0406-1338-4/index.html

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